朝の写経:11日目「是故空中無色 無受想行識」

「1日5分 朝の般若“心経写経”手帖」 | Acca's Blog

今日の写経「是故空中無色 無受想行識」

意味:したがって、空の中で変わらない肉体もなく、いつまでも同じように感じたり、知ったり、考えたり、判断したりすることもなく、

 仏教ではものごとのあり方を、「縁が集まって、仮に存在している」と考える。物体(色)=空ということ。
 つまり、空である私たちが、空であるものを認識している。

人生は白いキャンバス。自分で意味を描こう

 何かに行きづまったとき、私たちは「人生の意味は何だろう。どうして自分は生きているのだろう」と思うことがある。生きていくのに値する何らかの価値を感じられれば、いきいきと生きていける。しかし、予想外や期待はずれのことが起こってその価値がくずれると、「何のために生きているのだろう」と途方に暮れることがある。
 人生に、一人一人決められた意味など、あろうはずがない。「無意味」ではなく「未意味」ということ。
 人生はまだ何も描かれていない白いキャンバス。そこにどんな絵を描いていくかはあなた次第。

〔引用:1日5分 朝の般若“心経写経”手帖 名取芳彦著 ナツメ社〕

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